プロフィール

しろう(パーソナルコーチ)
1987年生まれ/北海道在住/大学で心理学を専攻→民間企業で広告営業を経験→地元市役所で広報・福祉・人事・採用などを担当したほか、新規採用職員や会計年度任用職員100人以上に対し接遇研修などを経験→プロコーチを志し独立。現在に至る/CTIジャパン Co-Activeコーチングスクール受講中/HSP気質/ドラマと餃子と推しを愛する晴れおんな/コーチとしての持ち味は、好奇心と包容力/とことんこじらせてきた私とだから会いに行ける”あなた”がいます。

しろうのこじらせキャラクター紹介

わたし自身、ずーーーっと生きづらさを抱えて生きてきました。
順を追って説明するとなんとも重たい感じになるので、ここではわたしの生きづらさのもとになった”こじらせキャラクター”たちを紹介します。
あわせて、わたしがコーチングと出会ってどんなふうに変化したかも紹介します。

こじらせキャラクターファイル1
「わたしに演じられない役はない!」”べき思考”の女優モンスター

特性:その場で自分が求められている役割を敏感に感じ取り、その役割を果たすことに執着する
こじらせエピソード:
親の関心を集めたい末っ子のサガなのか、子どものころから自分に与えられた役割をちゃんと果たすことが好きでした。
生徒、クラス委員、相談相手、社会人、公務員、部下、上司、彼女など、そのとき求められている役割を敏感に感じ取り、役割を分析し、それを全うする
その役割を果たすことにのめり込み気づかぬうちにキャパオーバーで20代までは3か月に1度ほどのペースでストレス性の胃腸炎で寝込む。


その場で自分がどうあるべきかを読み取り、演じ切る
女優モンスターの誕生は、物心をついたころにさかのぼります。
ひとつ年上の兄が、自分よりも難しいことを任されることに腹が立って末っ子扱い

兄両親にわたしの実力を知らしめるべく兄に挑んでは返り討ちに遭いかんしゃくを起こすとても迷惑な子どもでした。
らっては敵うはずもなく返り討ちにあいかんしゃくを起こす非常に面倒くさい幼児です。
。初めて“玄関の靴を並べる係”を任されたときはうれしくて、鼻息荒く靴を並べていたのを覚えています。

そんな幼少期を過ごして背伸びをするクセがついたのか、学生時代は模範的な生徒でした。
成績が良いわけではないのですが、家庭訪問や通知表でやたら褒められるので「うちの子、家と全然違うんだけど」と母を戸惑わせていました。

こんなふうに表向きはのびのび育っていた子ども時代ですが、同時にコンプレックスものびのび育っていきました。
同年代の子に比べてひと回り体の大きな自分、珍しい苗字の自分、髪の毛がくるくるしている自分、男の子に間違えられる自分など、誰かにそんな自分を指摘されるたび、”世の中のふつうになじんでいない自分”を感じていました。

キャラクターファイル2
「返事ははいかイエスだ!」「はい!」鬼軍曹の弟子

ときには有名子役のごとく与えられた”役割”をこなすことがすっかり板につき、キャリア?が長くなってくると回ってくるのが”まとめ役”。もちろんそれも喜んで引き受けていました。
だけど、中学校は教室いっぱいに思春期が詰まっているような場です。自分の人間関係だけでも大変なのに、自分以外のトラブルまでなんとかしようと奔走する日々でした。
3か月に1回のペースでストレス性の胃腸炎を繰り返し、周りから「やさしい」と言われたり、心配した母から「八方美人はやめなさい」と叱られたりしていましたが、どの言葉もどうにもしっくりこないままでした。

今だからわかるのですが、このころから私はずーーーっと”役割を果たすこと”にのめり込んでいました。
与えられた役割は当然果たさなければならないもので、役割を果たす上で私のしんどさや感情はどうでもよかったんです。

※余談※
こののめり込みに気づいたのは、2024年4月のコーチング(わたしがクライアント)の場でした。長年のモヤモヤにやっと名前がついて本当にスッキリしました。

キャラクターファイル3
「このバランスをとるためなら、俺はなんだってする!」バランス職人

高校1年生のクラスはなかなかの荒れ模様で、思春期特有の地に足がついていない雰囲気とトゲトゲ感。意味不明なタイミングで響く大音量の笑い声……思い出すだけでも、私にとってはだいぶしんどい環境でした。

相変わらずコンプレックスだらけだったので、からかいの標的にされないように今までになく勉強に励みました。上位成績者の名前が公表される学校だったので、怖い人たちは成績でねじ伏せようという苦肉の策です。
このころから、”役割を果たすこと”はやりたいからやることではなく、他人に文句を言わせないためにすることになりました。

そしてこのころから自分の中に、批判的な目で自分を監視する自分(鬼軍曹)が生まれました。
頭の中は毎日鬼軍曹のダメ出しだらけ。今思うと、誰かに深く傷つけらる前に自分を傷つけておくという痛々しい自己防衛でした。毎日ダメ出しを食らっているので自己肯定感はなくなり、どんどん自分が大嫌いになっていきました。
さらにはそんなドロドロした自分を周りに知られたくなくて”細かいことは気にしない堂々とした自分”のように振る舞っていました。
日々のストレスで無茶食いして体重もいっきに増え、今まで以上に外見がコンプレックスになった辛い時期でした。

キャラクターファイル4
「らさは続くよどこまでも」共感性

高校を卒業後は臨床心理士を目指して大学に進学したものの、悩んだ末に民間企業へ就職しました。そこも半年ほどで退職し、地元市役所に奉職します。
はたから見ると仕事も順調で、充実した社会人生活を送っているように見えるのですが、自己肯定感の無さからくる生きづらさはずっと私の中にありました。

鬼軍曹と作り上げた”ちゃんとした大人”の仮面をかぶりながら「本当の私を知ったら、絶対にみんな私を嫌いになる」と本気で思っていたんです。
もちろんそんなふうに考えていること自体を知られたくないので、表面上は相変わらず”細かいことは気にしない堂々とした私”でした。

なんとかこの生きづらさを克服したいと、自己肯定感に関する本を読み漁ったり、コンプレックスを解消しようとしてみたりしましたが、全然効果はありませんでした。
進展があったのは社会人2年目。初めて自分の中の鬼軍曹に気が付き、一番自分を傷めつけていたのは自分自身だと気付いたことでした。

コーチングとの出会い

鬼軍曹の存在に気付き、生きづらさは大きく軽減しました。前よりも少し自分を受け入れられるようになったことは本当に大きな進展だったのですが、それでも自分を好きというところまで行くことはできませんでした。

そうこうしながらも年月は過ぎ、三十代半ばに差し掛かります。
年齢を重ね、キャリアも長くなってきたある日、突然強い行き詰まり感に襲われました。ネガティブな感情がどっと押し寄せてきて、頭の中で始まる自己否定の嵐。これはどうしたものかと思ったとき、何年か前に職場研修で知ったコーチングを思い出しました。
その研修で「コーチングは、指示的なことはせず、クライアントが行きたい方向へコーチが導いていく手法」という説明を受け、「私がやりたかった仕事はこれだったのかもしれない」と思ったものの、それきりになっていたコーチング。
それが、私がコーチングを受けるきっかけでした。

コーチングがもたらしてくれた自己肯定感

初めてコーチングを受けたときの感想は、「遠慮せずに自分のことだけを話せる時間ってなんて貴重なんだろう!」でした。

そして「続かない自分を変えたい」というテーマから始まった私のコーチングは、回を重ねて行くにつれ”自分を縛りつけている自分”との対話になっていきました。

長い年月をかけて鬼軍曹と一緒に巻き付けていった鎖を、コーチと一緒に見に行き、一本ずつ切っていきました。鎖が復活していることもあったり、この鎖は切らなくていいと判断することもありました。
少しずつ、私は自由になっていきました。そしていつの間にか、私は自分を愛せるようになっていました。コンプレックスは何も解消されていないし、状況は変わっていないのにです。

自分を愛せるようになって、世界がはっきりと変わりました。
批判の対象でしかなかった自分を労われるようになり、信じられるようになり、応援できるようになりました。
ちゃんとした社会人にならなければならないと強く思い込んでいた私が、安定した職を捨て、自分の人生に「一回休み」を与えられるまでになりました。
立派なキャリアや特別な肩書なんて何もないのに、プロコーチになると踏み出せるようになりました。
コーチングと出会って、こじらせ続けた私の人生は間違いなく変わりました。自問自答と自己分析だけでは、ここまでたどり着けませんでした。

もっと早くコーチングに出会えていたら、もっと人生変わったかな。
ときどきそう思うことがあります。
だからこそ私は、今生きづらい人にコーチングを届けたいのです。